
こんにちは。リプロネクストメディア担当の河合です。
本日は【-居酒屋えのもと- おしゃべり記録 vol.2】ということで、りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館にお邪魔し、音楽企画課の榎本広樹さんとお話させていただいた模様をお伝えいたします!
■vol.1はこちら:りゅーとぴあのおせっかいな、榎本さん。【-居酒屋えのもと- おしゃべり記録 vol.1】
vol.1は、榎本さんのお人柄に迫りつつ、りゅーとぴあでどんなお仕事をされているのかをご紹介しました。今回、vol.2では榎本さんのこれまでの歩みについてお伝えしていきます!
それでは早速、- 居酒屋えのもと – 第2部開演です!
かわい
えのもと
⇒魚沼で生まれ育つ
⇒18歳で上京
⇒東京都の公務員として働きながら、夜は大学に通う
⇒大学卒業と同時にUターン 事務系のお仕事に3年7か月従事
⇒越後湯沢のリゾートホテルで勤務
⇒魚沼市小出郷文化会館で19年間勤務
⇒りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館(現在)
かわい
溢れかえっています!!
えのもと
かわい
※たくさんのお話を聴きましたが、ここではいくつかのトピックに絞ってお伝えいたします。
かわい
えのもと
私は小出高校を卒業したら、地元で就職するつもりでした。
ある日、求人票を見ている時に、
日本史を教えていた佐藤先生に声をかけられました。
「何をやっている? ちょっと来い。」と進路相談室に連れ込まれ、
とにかく大学に行けと、2時間以上説かれたんです。
かわい
えのもと
「お金がないから大学はちょっと…。」って答えていたのですが、とにかく大学に行けと言われるものだから、”そんなもんかな”と思いだしてきて…。
佐藤先生は東京都の公務員の募集要項を出して「公務員なら残業が少ないから、働きながら夜に大学に行けばいいじゃないか。」と言うんです。
大学進学、しかも東京に行くなんて親にも相談しなければならないけれど、申込み締め切りはなんと翌日の消印有効!
半ば強引に親からハンコを押してもらって翌日朝1限目の授業を休んで郵便局に行って発送しました。
かわい
でも、担任でもない先生が2時間以上も自分のためを思って説得してくれるなんて、本当にすごいことですよね。
なんだか自分もそんな状況になったら、言われるがまま、応募するかもしれません。
えのもと
かわい
えのもと
かわい
えのもと
かわい
えのもと
実は、3月上旬ごろ、おばあちゃんから「中学校の小原先生から連絡があったよ」と言われたことがありました。その時は、中学校の時にお世話になった小原先生という先生がいて、でも卒業して何年も経っているのに「何だろう、だいじなことならまた連絡来るよな」と気にも留めていませんでした。
かわい
えのもと
でも、よく考えてみると、合格したのは学校事務職。そして、都立”小川”高校から採用面接の連絡だったんです。
ああああ!あの時の電話だったのか~~!
って思いましたね笑
結局、次に欠員が出た学校から連絡が来るということになりました。
かわい
えのもと
そうなんです。だからひたすら家で待ちました。4月、5月になっても連絡が来ませんでした。そうするとだんだん家にいるのが嫌になってくるんですよね。
そしてある日、今日くらいいいだろうと思い、長岡市立劇場に行って「大阪フィルハーモニー交響楽団」のコンサートを友達と一緒に見に行きました。18時半開演だったのですが、ホールに入ったら私の名を読んで”至急、家に電話をしてください”という旨のアナウンスが流れていたんです。
出典:大阪フィルハーモニー交響楽団公式Twitter
■大阪フィルハーモニー交響楽団のHPはこちら
かわい
えのもと
かわい
えのもと
かわい
えのもと
かわい
えのもと
17:15まで仕事⇒アパートまで歩いて5分⇒荷物を持ち替え電車に乗り大学へ⇒18:00から講義を受ける というような生活をしていました。
でも、2年生が終わる時に気づいたんです。
東京暮らしはあと2年。魚沼に帰ってもレコードなら手に入れられるが、生の舞台を見れるのは今だけだと。
かわい
えのもと
かわい
えのもと
東京で暮らし、夜間の大学に通っていたので本当にいろいろな経験ができたし、いろいろな人に出会えました。
本当に外の世界に出ないとわからないことがいっぱいでした。佐藤先生が「とにかく東京へ行け」と言ってくれたのも、口だけではわからないと思ってのことだったんだなと感じました。
かわい
えのもと
出典:魚沼市小出郷文化会館HP
■魚沼市小出郷文化会館のHPはこちら
かわい
えのもと
地域密着型のホールでした。とにかく住民主体で運営をしていたんです。
ホールの計画策定段階から有志で集まった住民の方々が「住民による文化を育む会」というものを立ち上げ、みんなでビジョンから策定するようなところでした。
かわい
えのもと
本当に市民の皆さんは、何も言わずとも動いてくださって、運営資金も集めてくださって…。支援してくださる住民の方々に一度聞いたことがあるんです。「私たちはみなさんにどんなメリットを用意したら良いのでしょうか。」と。
そしたら、「そんなものいらない」と一蹴されてしまいました笑
かわい
えのもと
例えば、音響や照明なんかも、地域の方々が研修を受け、そういったところまで私たちと一緒に担ってくれたんです。
かわい
えのもと
地域コミュニティの中にどっぷりと参画している魚沼市小出郷文化会館のようなホールと、数百km四方にここしかないという施設クオリティをもっているりゅーとぴあでは、社会で果たすべき役割が全然違うと思うのです。
だから、魚沼のホールで仕事をしていた経験のほぼすべては役に立ちませんでした笑 全く別のノウハウやスキルが求められているんです。
出典:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 HP
えのもと
私は、りゅーとぴあに入ったのが当時40代後半。即戦力が求められます。ただ、りゅーとぴあで仕事をしていく上でのノウハウやスキルが無いわけです。最初はほんとに困りました。
でも、ここがりゅーとぴあの懐の深いところだと思うのですが、後から入ってきた仕事のできないやつを、りゅーとぴあの人たちはうまくかまって仲間にしてくれたんですよね。
かわい
えのもと
今でもよく覚えているのが、りゅーとぴあに入ったばかりに直属の上司から言われた一言。
「えのさん、ジュニア合唱団の事務局を一緒にやろうよ。楽しいと思うから。」
って。命令をするわけでもなく、「今度釣り行く?」みたいなノリで言うわけ笑
事業企画部長の寺田さん(榎本さんの上司)
かわい
えのもと
当時、100人くらいの小学生~高校生が練習していたのですが、練習なのにきらっきらに輝いて歌っていたんです。
かわい
えのもと
かわい
▲ 【新潟シティチャンネル】新潟市ジュニア合唱団「わたしは未来」合唱 みなと新潟春フェスタ2015~光の響演~地元アーティストステージ
えのもと
ほんと、なっさけないんですけど笑
第2部はこの辺りで閉幕です。
今回は、榎本さんの歩みについてお伝えしました。
実は、ホテルマンだった時代のお話など、たくさん割愛させていただいた部分がありますが、榎本さんのこれまでの歩みが今につながっているからこそ、榎本さんがいまここで働いていてこんなに素敵なんだ…と感じました。
まだまだ紹介しきれていない部分がたくさんありますが、是非、りゅーとぴあで榎本さんを見かけた際は声をかけてみてください(^^)
それでは、いよいよクライマックス!
第3部をお楽しみに!!!
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