CEO Blog
こんにちは、リプロネクストの藤田 献児です。
2017年2月に株式会社リプロネクストを設立して8期目に入りました。
客観的にみて8年目と聞くともうすぐ10年で続いている会社という思ってしまいますが、いざ自分が当事者になると「えっ、7年もやったっけ?」という感覚です。
この7年を簡単に振り返るのと今後のことについて書いていきたいと思います。
中学生くらいから「将来は会社とつくって社会に貢献したい」と何となく思っていたのですが、いざやろうと思っても想いはあるけどビジネスモデルが全く思いつかずにどうしたら良いかわからなく、東京の異業種交流会とかに行ったりしてました。
ただ、そこで得られたのは「起業考えているなんて凄いね」と言われてちょっとした優越感やネットワークビジネスの営業をされた経験くらいで、何の解決にもならずに「こんなんで自分の人生良いのか」と焦りだけ出る日々。
いつまでも行動しない自分に背中を押してくれたのは「人生は30,000日」という情報で、リプロネクストは「次の10,000日で社会に貢献できる会社をつくる」と思って自分が生まれてから10,001日目に設立しました。
ビジネスモデルを決めずに新潟にUターンして会社をつくってしまったので、自分1人顧客0お金ないみたいな状況でしたが、何となく「自分ならいける」と思っていたものの現実、1ヶ月2ヶ月3ヶ月と仕事がない状態で当たり前だけど給料がないことの大変さを知りました。
東京で仕事していた時に居酒屋で愚痴を言いながらお酒を飲める生活をしていた時のありがたさを実感しましたね。
とは言え、生きていかないといけないので週5日ホテルの宴会場でアルバイトをして何とか生き残っている生活でした。
仕事を初めて受注したのは、会社をつくって6ヶ月後で今から比べると小さな金額の仕事だったのですが、嬉しさなのか感謝なのか不安からの解放なのかわからないですが涙が出ましたね。
VRの仕事は1年目からやっていたものの仕事が全然なく、新潟の企業に対して「VRを活用することでこういうことができるようになる」と伝えても「藤田くん、そんなことよりさ今のチラシをもっと安く作ってくれたら発注しても良いけど」と言われることがありました。
心の中では「業績が落ちているんだから今までと同じことやっても上手くいかないのに…」と思いながらも、生きていくために何でもやる日々。
何回かチラシや雑務に近い仕事をした時に自分が「もっと売れるチラシは何だろう?」と一瞬考えた時がありました。
本当は「社会に地域に貢献する」と思って会社をスタートしたのに自分が良いと思っていない提案を考えた時に「自分も地域を衰退させている1人だ」と思いショックを受けました。
本当に自分が良いと思っている社会のあり方や地域の姿を実現するには、地元の企業と仕事していては実現が難しい。まずは自立しないとダメだと思い全国の仕事を増やすことを決意しました。
採用も少しして3~5人くらいになった頃で、仕事は相変わらずポツポツあるくらい。自分が率先して全部の業務に関わる感じになっていました。
ある時、これまでとは違う大きな仕事依頼があって、オリジナルVRゴーグルをつくるというものでした。
関西の工場と提携して段ボール製のVRゴーグルをつくる仕事は何件か行っていたのですが、全国にある店舗での販売を想定しての数量のため、1,000万円以上の案件でした。
関西の工場に依頼すると「数量が多いので前金で払ってくれないと動けない」と言われ、クライアント(正確には代理店)に伝えると「1/3なら前金でも大丈夫」とのことだったので、何とか間に合うだろう。と思っていたところ、製造が進む直前に「やっぱ納品後じゃないとお金は支払えない」と言われ、納期は決まっているのに進めることができない。
しかも、製造開始から納品までは3~4ヶ月あるので、その間の家賃・人件費などもかかるし、おまけにデザイン修正が何度も何度も入るので他の仕事ができない状況でした。
社員数名の会社で現金もほとんどなかったので、一旦自分の給料を3ヶ月止める決意をして銀行に行って事情を話して短期の融資で何とか終えることができました。
今思うと資金繰りを考えたことがなかった自分が悪かったなと思いますが、当時は生きた心地がしなかったのを覚えています。
ニュースで「船の中でウイルスが発生」というものを見て、他人事だと思っていたものが急に身近に来て「会社が終わるかもしれない」という恐怖を感じたのを覚えています。
ちょうどオリンピックイヤーということもあり、東京オリンピック関連でのVRの仕事依頼も進んでいて、あとは撮影や制作するだけというところから「東京オリンピック延期」「緊急事態宣言」などが入り、多くの企業がどうしたら良いかわからない状態で仕事が止まりました。
売上が全くない期間が数ヶ月続き、明らかにお金がどんどん減って続けられないかもしれない。と思ってコロナ融資を借りて何とか生き残りました。
「XRだとコロナのおかげで伸びたでしょ」と言われることも多いですが、一部新たなニーズは増えたものの競合が増えたり、経済の動きが鈍くなると苦しいことの方が多かったですね。
過去振り返ってなぜかこの年が一番記憶ないです…笑
おそらく理由としては、コロナ禍も続いていて僕としても生きていくのに必死だったのと「リスクを負ってまで挑戦する意味はあるのか?」と迷っていたタイミングだったからかもしれません。
それもあって、考えを整理するためにVisionやMissionStatementをつくりました。
それぞれの内容は採用サイトに記載しているので読んでください。
▶https://recruit.lipronext.com/culture
MissionStatementに「できる理由を探そう」とか「みんなのためにスケールする」と入れたおかげで、過去のように不安になって「大丈夫かな?」とか考えるよりも「どうやったらできるのか?」と考えるようになったので、自分自身の指標としても助かっています。
このあたりから採用を強化していったのですが、採用・組織のミスマッチなどを真剣に考えるようになりました。
会社側の論理で採用を考えると「今人がいないから採用しよう」となりますが、そうすると「ちょっと考え方が違うけど、仕事量的に採用しようか」となり、採用してから考え方のギャップがある方が大変です。
良い面で言うと官公庁や自治体の仕事が増えてきたのもこのあたりからでした。官公庁の方からはこぞって「こんなに小さくて若い会社と仕事するの初めてだ」という自分にとっては最高の誉め言葉を言ってもらえることも増えています。
昨年はメタバースへの参入と全国初の事例をいくつか手がけさせていただきました。
▶全国初。山梨県甲府市がメタバースによるひきこもり相談窓口を開設
▶鹿児島大学教育学部附属小学校 様 【英語授業向けメタバース制作】
XR・メタバースはエンタメ領域が多い中で自治体・企業向けに展開している会社の方が少なく、周りからは「どうせ流行りものでしょ?」と言われることも多いですが、僕たちとしてはXR・メタバースは情報のインフラに間違いなくなると思っています。
モノを選ぶ時に”リアル”と”デジタル”しかない中で僕たちがつくっているのは”デジタルでの疑似体験”です。
この疑似体験があることで、情報のギャップがなくなったり新たな魅力を伝えることができたりと社会に大きな価値を提供できると思っています。
可能性を感じた1年でした。
8年目に入った今年は大きく変化しようとしています。
これまでは、PLで考えていた経営をBSに変化して適切な投資に対してはスピードを上げて実行しています。
社内の人からは「採用とか進めすぎて大丈夫ですか?」と聞かれるくらい1月は面接を行いましたし、新卒・中途共に採用は行っています。
新規事業やpocなども同時並行で進めているので、多少社内ではミスが増えたり僕も余裕がなかったりとありますが、大きなミスがなければこのスピード感がスタンダードかなと。
あとは、資金調達もこれまでのデッドからエクイティへ切り替えて実行していく予定なので、この変化は自分で選択しておきながら不安になることもあるので日々学びながら突き進んでいきます。
8年目の今年が一番チャレンジしていると思えているのは幸せなことだし、チャレンジは来年も再来年も10年後も今年が一番だと言えるほどやっていきたいと思います!